昔から、僕は人間の生きる意味というやつがもうひとつ理解できなかった。いったい、大人は働いて、グチをこぼし、それぞれの妻や夫を持て余しながら、どうして生存を維持していけるものかと疑問に思っていた。そういったごく素朴な疑問を僕がふと口にすると、母はいつも言ったものだ。
「そういうものよ。生きるというのは、楽しいことばかりじゃないの。いつも何のためにこんなことやってるんだろうなんて考えながら、それでもたまにうれしいことがあればみんなでお祝いしたりするでしょ、そうして楽しんでいくものなの」
みんなでお祝いすること。それが母にとっての人生の意味なのだとしたら。僕はそのたびに、帰省のときに目にする母の親族一同の顔を思い浮かべる。どこか異質な印象の拭えない、田舎育ちの面々。いつも居心地が悪くて、僕は着くとすぐに決まって庭の犬たちのもとに避難したものだ。犬たちはミッキーと次郎といって、どちらも雑種だった。
母はいつも、それなりに朗らかに振舞っていた。しかし、それが楽しいということだと僕が理解していたのは幼稚園のころまでだ。いつも何かが不自然だった。小学校も田舎屋敷も同じことだ。大勢が集まって、それなりに朗らかにやり合い、一日一日を送ってゆく。そうしてみんないつかは死ぬ。楽しいという感覚は、僕にとっていつも限りなく縁遠く、どこか作り物じみた響きを伴っていた。
少年時代
(2002/初頭)