カテゴリー別アーカイブ: 日々ログ

歌置き場、再開しました

いろいろあって過去サイト吹っ飛ばしたけど、来し方行く末を考えたり、人のアドバイスに耳を傾けたりするうちに、気が変わった。

やっぱり音楽って、もう抜くべからざる自分なりのアイデンティティになっちゃってるんだな、っと思って。上手い下手とか、クオリティの高い低いじゃ、測り切れないものになってしまっている。だから、以前の歌ファイルを探し出してきて、視聴できる形で公開しなおしました。

「歌置き場」、全9曲。
お気が向いたらぜひに。

社会勉強、事始め

Bnqr0IxCMAAJuaP.jpg largeとにかく今日から何か、新しい考え方で具体的に動き始めよう。ということは、前夜からかたくなに決めていた。成長への衝動なんて、日に日に薄れていって、2ヶ月もすれば本当に曖昧模糊としてしまう。そうなってからでは遅い。
そして昨夜から脳内会議が侃々諤々の末、今日は官邸前デモに行ってきました。

ここ数日、僕はいろんな意味で雲の上にいたので、世上のニュースにひどくうとくなってたけど、ツイッターを見ていたら、大事件が進行していることに気づいたんだよね。
ほかならぬ今日、安倍総理が解釈改憲による集団的自衛権の行使を容認する旨の会見を開く、という。これはもう完全に戦争への道だ。

というわけで、数日来の消耗と頭痛を感じながらも、はるばる1時間あまり電車に揺られて、行ってきましたよ。僕にとっては、生涯3度目のデモ参加となった。
一人で少々こころもとなかったので、できれば情報を拡散されていたアカウントの方を頼りたいなと思ったけど、連絡がつかないので割り切って、ひたすら一人で叫んできました。


デモも毎日やってれば飽きるだろうけど、たまに行く分には意外と面白いものだ、と僕は思う。三宅洋平の名曲「DEMO」のPVで繰り広げられているような洗練は、デモの実際の光景にはあまりないけど、もっとちょこまかと面白い。煽りのドラム隊はうまいし。定番のシュプレヒコールも、よくよく聞くと個性や上手下手があったり。

シュプレヒコールといえば、いかにも「デモらしい」感じがして、気後れする人も多いと思う。僕も正直いってデモ慣れしない、そっち側の感覚の人間だけど、案外、適当なものなんだ、ということが実地に聞いてるとわかってくる。
アドリブの早口とか、リズムから外れたコールとか、ときどきみんな返しに困ってたりする。(笑)

逆にいうと、べつに上手じゃなくても煽ったっていいし、台詞をとちったまんま大声で復唱してもべつに恥ずかしくない、というのが多分、本来のデモの空気。
むしろそういう、いろんな声や存在があることが大事なんだと思う。


そういえば、誰かが「先頭の方で写真を撮ろうとしたら警官に止められた」と言っているのを聞いたので、僕も帰る前に実験してみた。
一番前のコーンのところに立って、通行人がないことを確かめ、さり気なくアイフォンを取り出し、カメラを起動して──「ダメですよ」。瞬時に腕をつかまれて、止められた。事実だった。

理由を聞くと、「立ち止まっちゃいけない場所なんで」とその警官は言う。しかし、公道だよここは?人が通っていないタイミングを選んだから、誰の邪魔もしてないんだよ?
これがおかしい、という感覚がない人は、少し自分を疑ってみた方がいいかもしれない…と、僕がいうのも何だけど。

なんせほんの数年前まで、僕もデモなるものには偏見があって、そんな感覚など持ってはいなかったから。べつに威張れたものじゃない。
でも市民に対して何かを禁ずるには明確な理由が必要だし、明確に禁止されていない事柄については、警察に取り締まる権限はないんだ。本当は。


話は前後するけど、休み休み、1時間半ほど叫んだころ一瞬、知人を見かけたのにはビックリした。かつて財布の中身を見せ合った奇妙な縁の方。考えてみれば、ここにいても全然おかしくない人物ではあった。ちょうど帰るところだったらしく、大声でシュプレヒコールに応えつつ、雑踏の中を瞬時に歩き去ってしまった。捕まえ損ねた…まあそれもご縁、なんだろう(~_~;)

まあ、またやればいい。こういう、社会勉強や人間観察や交流のきっかけになりそうなことを何でも。今日が多少、空振り気味だったことは認めるにしても、場所や機会を変えつつ、何度でもやり直せばいい。


帰り道、じゃあその反復をどうやるんだ、と考えた。現実的には週一が目安かな、とか。
たとえば、1週間単位で考える。虚弱体質というのは僕の抱える動かしがたい現実なので、6日間は、回復と計画に当てる。残る1日はどこか、誰かが何かをしている現場に、出向く。

社会運動なんかも、容赦なく「使う」。
動機は自分の成長のため、といえば不純だけど、それでも現場に触れることができる。現場の人を見て、話して、知らなかったものを知ることができる。
計画期間中の6日間は、Web作業やギターや病院通いなんかの地味で地道な努力を、並行して続ければいいだろう。何かをやめる必要さえない。

週に1回なら、年51回。5回に1回くらいは、発見があるかもしれない。
まあその回数には、単なるライブ通いとかも含めたいけど(体力と財源の都合上)、そこにもお目当てのアーティスト本人をはじめ、同好の士や、共演者の方とかがいるわけで。発見の余地はある。
胸算用の通りなら、年10回の、発見。

そしてまあ多分、5回に4回は今日のように空振りしたり失敗したりして、ああまた1つ知らない場を知ったなー、とだけ思って帰ることになるんだろう。
でもそれは、普通だ。5分の4なんだから。要するに経験値だ。
そのくらいならできるだろう、いくらお前でも?

ゆきて帰りし物語

鬱ログでモグモグうじゃうじゃモニョモニョと書きつづってきた件。
何ひとつ、客観的状況は変わっていない。のだけど、いろんな経緯があって、奇跡的に?相手の方とお話しすることができました。
いま僕の手元には、その人がくれた、さるキャラクターのラフスケッチと、帰途の車中で泣きそうになりながらまとめた膨大なメモがある。

怒りや批判や、一生もののアドバイスを、自分自身の抱える闇についての話も交えながら、いくつもいくつも、身を削って聞かせてくれた。自分の傷に塩を塗り込むような、激痛を伴う話も、多々あったように思う。
一夜にして、2、3年分くらいの精神的成長と、今後に向けた経験の種とを、受け取ってきたという気がする。
その方には、本当に感謝の言葉もない気持ちです。

そのおかげで、僕としては気持ちの揺れもいくらか落ち着いてきました。いや、相変わらず激震は激震だけど、その揺れ方がいくぶん、希望的・未来志向になった、というか。
今後、僕自身が何を思って、何をしていこうか、ということを、やっと考えられるようになってきた。

それに伴い、もうこれ以上、わが恥を公にさらしておく意味もないかと考えて、鬱ログの大半の記事をひとまず非公開にしました。
なんかもう、あれを書いている間は、自分への懐疑と自罰的な衝動でいっぱいだったので、ああいいよいいよどうぞ見てくれ、嘲笑ってくれ、といった気分だったわけですが、要するにそれが、今となっては恥ずかしい、ということです。(笑)

「何が何だかわからない」動揺の時期を、やっと終わらせることができた。その代わり、「この大問題を、どう克服して、自分を前進させていくか」を悩む時期に移ったという気がしています。
鬱ログのカテゴリーは残すつもりだけど、今後はもっと具体的に、今日はこれをやってみた、結果はどうだった、ということを書ける場所にしていきたい。

あ、あと、このサイトは初期化していろいろ消し飛ばしちゃったけど、あのあまり上手じゃないオリジナル曲は、なんらかの形で聴けるように、そのうち復元していこうかな。
ファイルはあるはずだし、そのうちまた曲を作らないとも限らないから。

弟と母と飲んだ夜

昨夜(11日)は、とてもうれしい夜だった。この悲しみの渦中にあってさえ。
夜、パソコンに向かって、このブログの鬱ログの2番目の記事を書き終えようとしていたとき。まさに、頭の中は虚無でいっぱい、という心境でいた僕の部屋のドアを、コンコン、と母がノックした。

立ち上がる気力すらなかったので、声を張って「なに!」と聞くと、なにやら黙っている。でも僕、いま本当に、つらすぎて、椅子から立ち上がれないから。
黙っていると、やがてドア越しに用件を言った。
今、1階に弟が帰ってきている。ワインを買ってきたので、一緒に飲まないかと、彼が言っているのだけど。

正直、気は進まなかった。やむなくのそのそと這い出て行った暗い廊下で、僕は母を前に立ち尽くした。
いや、だって、なにしろ僕は今、ハリボテの人生が崩壊していくのを呆然と見ている、その真っ最中なんですけど。
一体全体。なんでまた、よりによって今日なんだ。

断りかけて、でもこれは、千載一遇の好機だ。ということを思った。
無人のゴールの前に、もう何年も気まずく疎遠になっていた弟が、絶好のパスを蹴り込んでくれている。
今夜、僕がこよなく苦手とする毒父は、他国に旅立っていて、家にはいない。誘いは、明らかに、その条件を前提にしたものだった。

たとえば、こういった機会を無にすることで、僕はあの人を失ったんじゃないのか。最後に会った、あの日もそうだった。
あの人を失ったから、といって、泣きはらした目をして髭も伸び放題で着たきりスズメの寝巻き姿だから、といって。弟の手前、カッコつかない、恥ずかしいといって、躊躇したら。
僕は今度は、生涯、弟を失うかもしれない。

僕はそこで、母の後をついて、弟の待つ階下のリビングへと降りていった。


弟とは、実に久しぶりの対面だったけど、会話はふしぎなほど和やかに進んだ。僕がヤケクソ気味の勢いで、実は友達を1人失ったばかりで、普通の精神状態ではないのだ、という打ち明け話から始めたのもよかったのかもしれない。
でも何よりも最大の要因は、弟がしばらく見ない間に、文字通りの好青年に成長していたことだ。

公認会計士で、セミプロのジャズギタリストで、某コンテストのファイナリスト、といった肩書からすれば、実をいえばもう少し、どこかしら成功経験の反動で、崩れている部分もあるかと思っていた。が、それが、なかった。
語る言葉は率直で、僕に対しても嫌味なくフラットで、威張ることもへりくだることもない。そういう人に対しては、僕みたいなへんちくりんも、あまり構えずに話すことができる。

用意されてあったワインに頼るまでもなく、会話が始まった。ちらっと目を合わせて「なんか、ありがとうね」と声をかけ、「いやいや、ありがとう。僕は、うれしいよ」と大人びた声が、笑みをおびて返ってきたとき、ああ大丈夫だこいつは、と思った。
そして弟が母の日用として持ってきたロゼはおいしかったし、そのあと弟買い置きの赤ワインをさらに2本開けて、3人で飲んだ。つまみの生ハムも、チーズも、どれもこれも、おいしかった。

途中、彼の子供時代のことについても話した。彼の兄が強権をふるっていたであろうことについて、遠回しに謝った。
悪かったな、と思うことも多くて、と僕が言うと、いや、好影響の方がはるかに多い、まったく問題にならない、といくつかの例を挙げた。それに、最終的には、自分がそこから何を汲み取るかだから。と、まったくくったくがなかった。

僕自身、自分というものを疑う気持ちがむくむくと成長している矢先のことだっただけに、正直なところ、とてもほっとした。


会計士としてもギタリストとしても活動している彼からは、いろいろ面白い話を聞いたのだけど、それについては書き切れないので割愛する。ただ意外だったのは、僕についての印象だ。
見かけによらず、自己肯定感の強い人間、楽天家、と外では見られる話をすると、そんなはずはないという。

「いや、悪いけど昔から、僕と比べてさえ、あなたは自己肯定感が低かったように思えるよ。それに、楽天家だなんて、そんな。あなたは、ベートーベン並にシリアスな人だ」

ああ。そうだった…と、記憶の糸が解きほぐされていった。
たしかに、僕は昔から、およそ明るいタイプではなかったし、内面的にも、悩んでばかりの少年期を送ってきたんだった。それこそ、体も悪かったし、人間関係にも恵まれなかったし。
あれ、おかしいな。いつからだろう、僕が自分を、自己肯定感の強い人間、楽天家、として認識し始めたのは。

そうだ、7年前だ。あの人が、それを発見してくれた。
そしてもう一人、長年の、持病を同じくする戦友もまた。以前、手紙をやりとりした際にそのことをいうと、僕が楽天家であるという点には「けっこう前から、気づいていました」と書いていた。

彼女ら2人はいずれも、とても優れた観察者だったと思う。でも、弟も、長らく僕をそばで観察し続けた数少ない人間の1人だ。
人が変わり、関係性が違えば、見え方はこうも変わるのか、とまず驚いた。そして、本来の自分をなんとなく思い出したことで、2人の女友達がいずれも僕を楽天家とみなした理由が、気になった。

1人だけなら、目利き違いと思ってもいいだろう。でも、2人が2人ということは、それでは済まない。
彼女らが、2人とも自己肯定感が低いタイプで、僕が相対的に楽天家に見えた、という可能性もある。あるいは、僕はどこかで、無意識に自分を偽っていたのか。


そんな、内心の動揺や反省を挟みつつも、母の日飲み会はワインボトル3本を3人で開け、ぶじお開きとなった。弟が持ち込んだものが半ば以上を占めていたらしく、兄はだいぶご馳走になってしまいました。
思い切って顔を出してみて、よかった。あの人とのつながりは切れてしまったけど、弟とのつながりを、少しでも結び直すことができて、よかった。

昨夜は、いい夜だった。