「努力できる」という状態
唐突だけど、僕はこのところものすごく努力している。
パソ仕事は週休2日制の会社のいちばん怠惰な社員となら実労働時間でかろうじて張り合えそうだし、音楽はコードの感覚を養うための果てしない聴き取りをずっと継続的にやってきて、最近はそれに理論的裏付けを加えるための音楽理論の勉強にも手を出した。それも、素直に鍵盤で勉強すれば楽そうなものを、ギターにもっと馴染みたいという理由からかたくなにギターだけでやっている。
そういう努力と引き換えにやらなくなってきていることといったら、せいぜいが無料のゲームで潰すキリもない無為な時間とかでしかなく、一見したところ「いいことづくめ」「最初からやれ」という感じだ。
ただ、この状態に対する感じ方考え方は、おそらく僕は普通の人とはもう根本的に違ってしまっているんだろうな、ということをときどき考える。つまり、この状態を僕は文字通り「状態」であるに過ぎないと考えていて、「やればできる」「やってごらん。ほらできた」という必然の結果とは少しも思っていない、ということだ。
先日の日記で触れた、労働時間の爆発的な伸びのきっかけになった母の健康問題すら、そういうコンディション的な上げ潮の中に浮上した思わぬ起爆剤というか、つまりは晴天の霹靂で。
僕は慌てて走りだしはしたものの、その時点ですでに毎日少しずつ、コンスタントに仕事するサイクルは作り上げつつあったから、いわば仕事に向かう助走はすでに始まっていたわけなのだ。
要は何をいいたいかというと、現状を見る限り、僕はかつてなく長期(といっても2ヶ月ばかりだが)に渡って「努力できる程度の心身のコンディション」を維持していて、そのことがひどく物珍しい、ということだ。
本当に体調が悪いとき、「努力する」という選択肢はその人にとって事実上存在しなくなる。そういうことを少しでも感覚的に知っている人が、世間にどのくらいいるのか、僕は常々疑問に思っている。
たとえば「ゲームで暇つぶしできるくらいなら英語の勉強でもしてみれば?」というたぐいの言葉は、見当外れも最たるものといわなければならない。
ほぼこういう趣旨の言葉を、最近も僕は似たような境遇で苦労している知人のブログのコメント欄で見かけてしまい、しばらく暗澹としていた。馬鹿には言わせておけ、といいたくとも、それが世間の平均であり多数派であることを僕ははっきりと知っているから。
努力したいという思いはあっても文字通り心身がついてこず、消去法の終着点でゲーム(チャットでも昼寝でも何でもいい)をしている、ということが想像もつかないのだろうと思う。
そしてその陰には当然、自分を鼓舞して取り掛かっては挫折してきた無数の失敗経験が死屍累々と積まれているはずなのだけど、生まれてこのかた健康を失ったことのない極楽トンボたちにはそんな死屍累々は見えやしない。
ちょっとグチになってしまったけど、要するにここ2ヶ月ほどの僕は、そういうどん底の状態をいつになく継続的に免れてきている。
そういう意味では間違いなく、かつてよりコンディションが平均的にいいんだろうと思う。
ただ、かといってそのことが根本的な体調の好転に結びついていきそうなのかというと、その点は実のところものすごく疑問が残る。いつになく動けているとはいえ・・・いや、むしろなまじ動けているせいで、ということなのかどうなのか、今現在も以前と同様、体力面ではかなりきつい。
かつかつでもがんばれているという現状自体が希望的ではあるけど、今のところはあからさまに慢性疲労的なままなんとか戦線を維持している状態だと思う。実際、その弊害は確実に出ていて、いちばんよく会う友達には「このところいつも疲れているよね」とか「家に来ると寝るよね」とか言われる始末だし、会話しててうまく言葉が出ないようなケースも増えている。
よくないな、と少し思う。これはまったく初めての悩み。
もちろん過去においても、稀には少し動けている時期もあった。ただ、かつてはこの手のことは大した問題にはならなかった――「努力できる状態」はいつも数日間か、あるいはどんなに長くても2週間もすれば失われて、僕は多少落ち込みながらも努力に伴う慢性疲労傾向からは解放されていたから。
今回初めて、僕はこの「努力できているという状態」が長続きする可能性をリアルに意識し始めている。
そうして結果としてたとえば、今現在の努力を多少セーブしてでも、人と会うときは少し休養を多く取って、まともな顔色で会えるようにするとか、なんらかの気力体力のやりくりのようなことが必要なのかもしれない、なんてことも考えるようになってきた。
かつては「この『状態』を逃がしたらまた動けなくなる、今はほかのことは考えずに必死でやってみるんだ!」といつも思っていた。実際、それ以外に僕にやりようはなかった。
ただここ2,3週間の僕には、かつてのような焦りがなく、ただ「努力する」という選択肢だけが日常のようにある。努力は「できること」だから、それを「どのように」実践しようか、ということを、実に久しぶりに(人生で初めて?)考え始めている、というか。
例の怪しげな東洋医学家のWさんが、ようやく何らかの結果を出しつつあるんじゃないだろうか、とも少しだけ思ったりもしている。
実に、彼のもとでの治療開始から7年目にして初めてのことだ(遅いよ)。
今はただ、この「努力できる状態」が続くことを願わずにはいられない。
この状態さえ常にあれば、たとえば少なくともプログラミングにはさほど支障はない。ということはつまり、小銭を稼ぎつつスキルを伸ばすこと、貯金を少しずつ増やしていくこと、音パソをいつでも使える程度のコンディションに保守していくこと、たまに外出すること、なんかは確実に実現できる。
さらにもう少し欲張って、体力が少しでも向上してくれれば、音楽することに対する無理も大幅に緩和されてくるはずだけど。
それは今は少しまだ、高望みというものかもしれない。


