大団円
最近完結した某『S』という有名な漫画について、その大団円に心の底からガッカリした人の日記をついさっきまで読んでいた。
僕はその漫画を読んだことこそないものの、その人の日記を読むにつれ、ああこれは作者が失敗したんだな、99%間違いないな、と確信じみた思いを抱いた。日記の内容が説得力にあふれていたのはいうまでもないことだけど、それと同時に、そういうことってわりと「よくあること」だと思うからだ。
ドラマでもお笑いでも「大オチ」って実はものすごく難しいもんだと思う。お笑いなんか、マトモな大オチが作れないままそれなりに人気者になってる(としか僕には思えない)人がザラにいるし。
お笑いといえば、最近の僕はウッチャンナンチャンの内村さんが司会を務める『レッドシアター』というお笑い番組をよく見てる。その番組の中で内村さんがニコニコしながら見ている若手お笑い芸人たちは、もちろんそれぞれに非凡ではあるはずなんだけど、とうていウッチャンナンチャンの域にはなくて、それが最も如実に表れるのがコントの大オチの部分だったりする。
毎回のように見ていると、たまにすごくいいのを見かけて、思わずテレビに向かって拍手してしまったりするけど、粒を揃えるってことはなかなか難しいものみたいで。「このコンビ、先週はよかったのに今週はクスリともできなかった」なんてことも正直、珍しくないんだよね。
往年の『ウッチャンナンチャンのウリナリ!!』で内村&南原が乱れ打つように毎週量産していたコント群みたいなわけには到底いかない。
ウリナリの『ランキングキャラクターライブ』は・・・ホワイティーは、父さんのコップは、辞めんなマンは、今思うとすごかった。
笑えるのが当たり前だった。なんせ、途中が多少面白かったとしても大オチが落ちないときというのは「今回はイマイチ」だったんだから。(笑)
あの売れっ子コンビ──当時のウッチャンナンチャンは今とは比較にならないほど「売れっ子」的な意味で売れていた──は、一体どういう発想力であの膨大なネタを毎週生み出し続け、演じ続けていたんだろう。しかも共演者たちは必ずしも笑いのプロとかじゃなく、ただのアイドルが混じっていたりすることも当たり前だったというのに。
『レッドシアター』で頻発する大オチの甘いコントを見るたびに、その真ん中でニコニコしながら司会に徹してるこのわりと整った面立ちのオジサンは、ほんっとーに天才なんだよな、とか・・・ついつい、思う。あんなにお人好しで他人の芸には甘くても。
お笑いから離れて本題に戻ると、漫画であれドラマであれ、本当に素晴らしい世界なら無理に完結させないで未完でもいいくらいだ、と僕はときどき考える。作品が完結しないまま、たとえば作者の人が病気で死んでしまったとして、いち読者として「あのあとはどうなったんだろう」と呆然と取り残されたとしても、それまでの主人公たちの輝きは褪せることも裏切られることもなく残り続けるわけだから。
たとえば・・・今もこの日本のどこかで、少し年老いたブラックジャックは自分自身のいびつな人生と向き合い続けているだろう。ピノコはどうしただろう、今も恋人とも父親ともつかないあの変人と一緒に暮らしているのかな。
『S』はその意味で、きっと失敗してしまったんだろうなあ・・・1ページも読んでない身でいうのも何だけど、あの説得力にあふれた愛読者の日記を読んだ限りでは。
もしそれが事実なら、残念だな。