歌置き場、再開しました

いろいろあって過去サイト吹っ飛ばしたけど、来し方行く末を考えたり、人のアドバイスに耳を傾けたりするうちに、気が変わった。

やっぱり音楽って、もう抜くべからざる自分なりのアイデンティティになっちゃってるんだな、っと思って。上手い下手とか、クオリティの高い低いじゃ、測り切れないものになってしまっている。だから、以前の歌ファイルを探し出してきて、視聴できる形で公開しなおしました。

「歌置き場」、全9曲。
お気が向いたらぜひに。

自分語り系の日記を書くのは、いい加減そろそろ噴飯ものだからやめよう。…と、思っていたものの。もう1つだけ、自分語る。
もともと自分語るために旧サイトを吹っ飛ばしたようなものなので、好きなようにやろう。これがラストであることは保証しない、でも連投はしない。

バカな話、なんだけど。
さっきから、耳元で聞いた声が蘇ってしょうがない。最後の日に。
怒りの声はたくさん聞いたし、言うだけのことは言ってしまった後の、平静に返ったような声音もたくさんたくさん聞いたけど、突き刺さるように蘇るのはたった一言。

失望の累積した、深い深い悲しみの声ほど耳に焼きつくものはないね。一生ものの刻印だよ。
いるべきときに、いるべきところにいないことほどの罪はない。あるいはそれができなくとも、せめてなんらかの形で補う努力を怠ることほどの罪はない。これは、やってしまうと本当に後悔するよ。

やってる最中には、わからないものなんだ。本当に。自分の身勝手さ、というものは、そのときには見えない。それは日常だから。
だから、ここにこれを書いても、たとえそういう人がたまたま読んだとしても、おそらく無意味なんだけれども。
いちおう書いておく。

そしてまあ。
せっかく押してもらったこの刻印を、陳腐なトラウマにしてしまうか、今さらながら成長の糧にできるかは、本当に自分次第。

森川美穂「Yes,I will… 」

世代によっては「言わずと知れた」連作アニメ、「ふしぎの海のナディア」のエンディングテーマ曲。
サウンドは80年代っぽいキラキラ感があって古風だけど、詞は普遍的でありながら陳腐になってなくて、とてもいい。いきいきとした躍動感と瑞々しさがまっすぐ胸に届いてくる。

大好きなんだよね、僕はこの2曲が。つまり、この曲とオープニングの「Blue Water」が。
肝心のアニメのことは、もうあまり憶えていないんだけど。

アニメ版

「自分で決めたことだから たぶん一人でも平気さ」

このあたりの曲はネット上での共有にわりとおおらからしくて、完全版や、「Blue Water」に至ってはTVライブ版までYouTubeにあるけど消されずに残ってる。実際、僕もYouTubeで久しぶりに聴いて入手したし(「森川美穂 ゴールデン☆ベスト」)、商業的にもこれで正解なんじゃないかな…そうだといいな(-人-;)

ちなみにアニメ版では、時間短縮のための中抜きで曲の構成や歌詞のつながりが変わることで、むしろ詞の純度が上がってる気がする。
中抜きで曲や詞の意味が変わるって、けっこう重大なことだけど、これに関しては珍しい成功例なんじゃないかと思う。

完全版

「いつかは思い出にしたいね ひとりで歩き出す時が来たなら」

歌は、優しいねえ…。
ときおり、自分が音楽を始めたときの衝撃が、胸のうちに蘇る気がする瞬間がある。歌の中にしかないもの、を再発見する瞬間というか。
下手でも手が動かなくても、またやってみようかな、という思いがよぎる瞬間。どうやらこの曲も、僕にそれをくれる1つみたいだ。

デトックス考

デトックス。
というとなにやらひどく健康的な響きだけど、今回のこのデトックスは明らかに、痛い気づきの数々と、ある程度の歳月なしには達成できないヘビーで内面的なやつだ。一昨日と昨日、山ほどの激怒と罵声と示唆とを受けて、反芻に反芻を重ねて、僕はやっと、そのことが自覚できるようになった。

まず僕には、僕自身に も、毒親がいる。父親がそうだ。
ずっとずっと反面教師だと思ってきた。ああはなるまいと思ってきた。激しく敵対して、ある時期までは怒り、激論を交わし、砂を噛むような不毛な思いを重ねて、その後いっさい無視するようになった。
でも。それでもなお、僕はその毒の一部を引き継いでしまっていたようだ。こればかりは、なんとしても克服しないと。誰から見てどうという話ではなくて、僕自身に明日がない。

僕はおそらく、ACではないのだろうと思っている、今のところは。
それは、毒親が幸い片親だけであって、母が身を挺して僕を守ってくれたこと(そのストレスで彼女はかなり体を悪くした)に起因するようだ、とこれも今のとこは思ってる。ただこれも先々、自認が進むにつれてどう思うようになるかはわからない。正直なところ、僕は怖い。
でもこれを乗り越えないと、僕は輪廻を引き継いで、加害の常習犯になる。このままいけば、僕も毒の人になる。それは本当に虫酸が走る未来図なので、もう本当に心の底から、全身全霊をもって回避したい。

成長を模索する今後の数年間、僕を刺してくれる人のことは必ず歓迎しようと思う。聞いて、言い合って、いやそれはさすがに違うだろう、と思えば採用しないこともあるだろうけど。とにかく一度、胃袋に入れて、徹底的に悩んでみることにしようと思う。
直言はもちろんのこと、耳に痛くて反射的には腹立たしいエアリプさえも、聞ける人間になろうと思う。そしてその収穫を、実際の行動で試行錯誤できる人間になろうと思う。

こういうことを書くのは、いわゆる「宣言の力」に期待しているから、というのが1つだ。書いたら、いくら怠惰な僕でもやらざるを得ないし、苦言もひとまずは飲み込まざるを得ない。退路を断つためだ。
正直、ここまで書いて、何もしなかったら、とても恥ずかしい。僕は、よくも悪くも見栄っ張りだから、都合がよい。
結局、人間は行動がすべてなんだから。そしてこの数年間の感情については、僕はいくらでも言い訳の言葉を思いつくけど、行動はどうだったのか、と振り返れば、もう自責の念しかない。

そういうのはもう、やめにしたい。誰の救いにもならない。
今後、動機はところどころ不純だったかもしれないが、行動はしていた、と言い切れる数年間を作りたい。そしてできれば、自分自身の変化を、自分自身で見届けたい。今は、そんなことを思っている。

社会勉強、事始め

Bnqr0IxCMAAJuaP.jpg largeとにかく今日から何か、新しい考え方で具体的に動き始めよう。ということは、前夜からかたくなに決めていた。成長への衝動なんて、日に日に薄れていって、2ヶ月もすれば本当に曖昧模糊としてしまう。そうなってからでは遅い。
そして昨夜から脳内会議が侃々諤々の末、今日は官邸前デモに行ってきました。

ここ数日、僕はいろんな意味で雲の上にいたので、世上のニュースにひどくうとくなってたけど、ツイッターを見ていたら、大事件が進行していることに気づいたんだよね。
ほかならぬ今日、安倍総理が解釈改憲による集団的自衛権の行使を容認する旨の会見を開く、という。これはもう完全に戦争への道だ。

というわけで、数日来の消耗と頭痛を感じながらも、はるばる1時間あまり電車に揺られて、行ってきましたよ。僕にとっては、生涯3度目のデモ参加となった。
一人で少々こころもとなかったので、できれば情報を拡散されていたアカウントの方を頼りたいなと思ったけど、連絡がつかないので割り切って、ひたすら一人で叫んできました。


デモも毎日やってれば飽きるだろうけど、たまに行く分には意外と面白いものだ、と僕は思う。三宅洋平の名曲「DEMO」のPVで繰り広げられているような洗練は、デモの実際の光景にはあまりないけど、もっとちょこまかと面白い。煽りのドラム隊はうまいし。定番のシュプレヒコールも、よくよく聞くと個性や上手下手があったり。

シュプレヒコールといえば、いかにも「デモらしい」感じがして、気後れする人も多いと思う。僕も正直いってデモ慣れしない、そっち側の感覚の人間だけど、案外、適当なものなんだ、ということが実地に聞いてるとわかってくる。
アドリブの早口とか、リズムから外れたコールとか、ときどきみんな返しに困ってたりする。(笑)

逆にいうと、べつに上手じゃなくても煽ったっていいし、台詞をとちったまんま大声で復唱してもべつに恥ずかしくない、というのが多分、本来のデモの空気。
むしろそういう、いろんな声や存在があることが大事なんだと思う。


そういえば、誰かが「先頭の方で写真を撮ろうとしたら警官に止められた」と言っているのを聞いたので、僕も帰る前に実験してみた。
一番前のコーンのところに立って、通行人がないことを確かめ、さり気なくアイフォンを取り出し、カメラを起動して──「ダメですよ」。瞬時に腕をつかまれて、止められた。事実だった。

理由を聞くと、「立ち止まっちゃいけない場所なんで」とその警官は言う。しかし、公道だよここは?人が通っていないタイミングを選んだから、誰の邪魔もしてないんだよ?
これがおかしい、という感覚がない人は、少し自分を疑ってみた方がいいかもしれない…と、僕がいうのも何だけど。

なんせほんの数年前まで、僕もデモなるものには偏見があって、そんな感覚など持ってはいなかったから。べつに威張れたものじゃない。
でも市民に対して何かを禁ずるには明確な理由が必要だし、明確に禁止されていない事柄については、警察に取り締まる権限はないんだ。本当は。


話は前後するけど、休み休み、1時間半ほど叫んだころ一瞬、知人を見かけたのにはビックリした。かつて財布の中身を見せ合った奇妙な縁の方。考えてみれば、ここにいても全然おかしくない人物ではあった。ちょうど帰るところだったらしく、大声でシュプレヒコールに応えつつ、雑踏の中を瞬時に歩き去ってしまった。捕まえ損ねた…まあそれもご縁、なんだろう(~_~;)

まあ、またやればいい。こういう、社会勉強や人間観察や交流のきっかけになりそうなことを何でも。今日が多少、空振り気味だったことは認めるにしても、場所や機会を変えつつ、何度でもやり直せばいい。


帰り道、じゃあその反復をどうやるんだ、と考えた。現実的には週一が目安かな、とか。
たとえば、1週間単位で考える。虚弱体質というのは僕の抱える動かしがたい現実なので、6日間は、回復と計画に当てる。残る1日はどこか、誰かが何かをしている現場に、出向く。

社会運動なんかも、容赦なく「使う」。
動機は自分の成長のため、といえば不純だけど、それでも現場に触れることができる。現場の人を見て、話して、知らなかったものを知ることができる。
計画期間中の6日間は、Web作業やギターや病院通いなんかの地味で地道な努力を、並行して続ければいいだろう。何かをやめる必要さえない。

週に1回なら、年51回。5回に1回くらいは、発見があるかもしれない。
まあその回数には、単なるライブ通いとかも含めたいけど(体力と財源の都合上)、そこにもお目当てのアーティスト本人をはじめ、同好の士や、共演者の方とかがいるわけで。発見の余地はある。
胸算用の通りなら、年10回の、発見。

そしてまあ多分、5回に4回は今日のように空振りしたり失敗したりして、ああまた1つ知らない場を知ったなー、とだけ思って帰ることになるんだろう。
でもそれは、普通だ。5分の4なんだから。要するに経験値だ。
そのくらいならできるだろう、いくらお前でも?

ゆきて帰りし物語

鬱ログでモグモグうじゃうじゃモニョモニョと書きつづってきた件。
何ひとつ、客観的状況は変わっていない。のだけど、いろんな経緯があって、奇跡的に?相手の方とお話しすることができました。
いま僕の手元には、その人がくれた、さるキャラクターのラフスケッチと、帰途の車中で泣きそうになりながらまとめた膨大なメモがある。

怒りや批判や、一生もののアドバイスを、自分自身の抱える闇についての話も交えながら、いくつもいくつも、身を削って聞かせてくれた。自分の傷に塩を塗り込むような、激痛を伴う話も、多々あったように思う。
一夜にして、2、3年分くらいの精神的成長と、今後に向けた経験の種とを、受け取ってきたという気がする。
その方には、本当に感謝の言葉もない気持ちです。

そのおかげで、僕としては気持ちの揺れもいくらか落ち着いてきました。いや、相変わらず激震は激震だけど、その揺れ方がいくぶん、希望的・未来志向になった、というか。
今後、僕自身が何を思って、何をしていこうか、ということを、やっと考えられるようになってきた。

それに伴い、もうこれ以上、わが恥を公にさらしておく意味もないかと考えて、鬱ログの大半の記事をひとまず非公開にしました。
なんかもう、あれを書いている間は、自分への懐疑と自罰的な衝動でいっぱいだったので、ああいいよいいよどうぞ見てくれ、嘲笑ってくれ、といった気分だったわけですが、要するにそれが、今となっては恥ずかしい、ということです。(笑)

「何が何だかわからない」動揺の時期を、やっと終わらせることができた。その代わり、「この大問題を、どう克服して、自分を前進させていくか」を悩む時期に移ったという気がしています。
鬱ログのカテゴリーは残すつもりだけど、今後はもっと具体的に、今日はこれをやってみた、結果はどうだった、ということを書ける場所にしていきたい。

あ、あと、このサイトは初期化していろいろ消し飛ばしちゃったけど、あのあまり上手じゃないオリジナル曲は、なんらかの形で聴けるように、そのうち復元していこうかな。
ファイルはあるはずだし、そのうちまた曲を作らないとも限らないから。

忌野清志郎「デイ・ドリーム・ビリーバー」

忌野清志郎のことは、尊敬している。生前も尊敬していたけど、ちょっと声質が苦手で、深くは知らなかった。「誇り高く生きよう」の入っているアルバムを聴いて、いいなと思って。いずれそのうち、もう1、2枚、彼の作品を聴いてみよう。と思ううちに、彼はこの世の人ではなくなった。

その後、3.11の大地震と、それに続く原発事故があり、彼の「サマータイム・ブルース」…国内の有名な反原発ソングの中ではおそらく唯一、原発事故を対岸の火事とせず、「自国で起こりうる事態」として歌った曲…が方々でフィーチャーされるにつれ、彼の歌を聴く機会も増えた。

忌野さんは、晩年がいいね。近年になればなるほどいい。人の魅力も、歌の魅力も、年齢で決まるものではないと教えてくれた一人だ。ロック界にはそういう人はけっこういるけど、でも多くはない。

「ずっと夢を見て安心してた僕はデイ・ドリーム・ビリーバー そんで、彼女はクイーン」

この曲自体に、僕自身は大した思い出はないんだけれども。ああでも、ちょっと、たとえばこの歌が赤いパソコンから流れてくる情景、空気。といったものが、この曲を聴くたびに脳裏をかすめることまでは、どうやら否定できないようです。

いつかもう1度、温かい思い出になってくれたらいいな。

弟と母と飲んだ夜

昨夜(11日)は、とてもうれしい夜だった。この悲しみの渦中にあってさえ。
夜、パソコンに向かって、このブログの鬱ログの2番目の記事を書き終えようとしていたとき。まさに、頭の中は虚無でいっぱい、という心境でいた僕の部屋のドアを、コンコン、と母がノックした。

立ち上がる気力すらなかったので、声を張って「なに!」と聞くと、なにやら黙っている。でも僕、いま本当に、つらすぎて、椅子から立ち上がれないから。
黙っていると、やがてドア越しに用件を言った。
今、1階に弟が帰ってきている。ワインを買ってきたので、一緒に飲まないかと、彼が言っているのだけど。

正直、気は進まなかった。やむなくのそのそと這い出て行った暗い廊下で、僕は母を前に立ち尽くした。
いや、だって、なにしろ僕は今、ハリボテの人生が崩壊していくのを呆然と見ている、その真っ最中なんですけど。
一体全体。なんでまた、よりによって今日なんだ。

断りかけて、でもこれは、千載一遇の好機だ。ということを思った。
無人のゴールの前に、もう何年も気まずく疎遠になっていた弟が、絶好のパスを蹴り込んでくれている。
今夜、僕がこよなく苦手とする毒父は、他国に旅立っていて、家にはいない。誘いは、明らかに、その条件を前提にしたものだった。

たとえば、こういった機会を無にすることで、僕はあの人を失ったんじゃないのか。最後に会った、あの日もそうだった。
あの人を失ったから、といって、泣きはらした目をして髭も伸び放題で着たきりスズメの寝巻き姿だから、といって。弟の手前、カッコつかない、恥ずかしいといって、躊躇したら。
僕は今度は、生涯、弟を失うかもしれない。

僕はそこで、母の後をついて、弟の待つ階下のリビングへと降りていった。


弟とは、実に久しぶりの対面だったけど、会話はふしぎなほど和やかに進んだ。僕がヤケクソ気味の勢いで、実は友達を1人失ったばかりで、普通の精神状態ではないのだ、という打ち明け話から始めたのもよかったのかもしれない。
でも何よりも最大の要因は、弟がしばらく見ない間に、文字通りの好青年に成長していたことだ。

公認会計士で、セミプロのジャズギタリストで、某コンテストのファイナリスト、といった肩書からすれば、実をいえばもう少し、どこかしら成功経験の反動で、崩れている部分もあるかと思っていた。が、それが、なかった。
語る言葉は率直で、僕に対しても嫌味なくフラットで、威張ることもへりくだることもない。そういう人に対しては、僕みたいなへんちくりんも、あまり構えずに話すことができる。

用意されてあったワインに頼るまでもなく、会話が始まった。ちらっと目を合わせて「なんか、ありがとうね」と声をかけ、「いやいや、ありがとう。僕は、うれしいよ」と大人びた声が、笑みをおびて返ってきたとき、ああ大丈夫だこいつは、と思った。
そして弟が母の日用として持ってきたロゼはおいしかったし、そのあと弟買い置きの赤ワインをさらに2本開けて、3人で飲んだ。つまみの生ハムも、チーズも、どれもこれも、おいしかった。

途中、彼の子供時代のことについても話した。彼の兄が強権をふるっていたであろうことについて、遠回しに謝った。
悪かったな、と思うことも多くて、と僕が言うと、いや、好影響の方がはるかに多い、まったく問題にならない、といくつかの例を挙げた。それに、最終的には、自分がそこから何を汲み取るかだから。と、まったくくったくがなかった。

僕自身、自分というものを疑う気持ちがむくむくと成長している矢先のことだっただけに、正直なところ、とてもほっとした。


会計士としてもギタリストとしても活動している彼からは、いろいろ面白い話を聞いたのだけど、それについては書き切れないので割愛する。ただ意外だったのは、僕についての印象だ。
見かけによらず、自己肯定感の強い人間、楽天家、と外では見られる話をすると、そんなはずはないという。

「いや、悪いけど昔から、僕と比べてさえ、あなたは自己肯定感が低かったように思えるよ。それに、楽天家だなんて、そんな。あなたは、ベートーベン並にシリアスな人だ」

ああ。そうだった…と、記憶の糸が解きほぐされていった。
たしかに、僕は昔から、およそ明るいタイプではなかったし、内面的にも、悩んでばかりの少年期を送ってきたんだった。それこそ、体も悪かったし、人間関係にも恵まれなかったし。
あれ、おかしいな。いつからだろう、僕が自分を、自己肯定感の強い人間、楽天家、として認識し始めたのは。

そうだ、7年前だ。あの人が、それを発見してくれた。
そしてもう一人、長年の、持病を同じくする戦友もまた。以前、手紙をやりとりした際にそのことをいうと、僕が楽天家であるという点には「けっこう前から、気づいていました」と書いていた。

彼女ら2人はいずれも、とても優れた観察者だったと思う。でも、弟も、長らく僕をそばで観察し続けた数少ない人間の1人だ。
人が変わり、関係性が違えば、見え方はこうも変わるのか、とまず驚いた。そして、本来の自分をなんとなく思い出したことで、2人の女友達がいずれも僕を楽天家とみなした理由が、気になった。

1人だけなら、目利き違いと思ってもいいだろう。でも、2人が2人ということは、それでは済まない。
彼女らが、2人とも自己肯定感が低いタイプで、僕が相対的に楽天家に見えた、という可能性もある。あるいは、僕はどこかで、無意識に自分を偽っていたのか。


そんな、内心の動揺や反省を挟みつつも、母の日飲み会はワインボトル3本を3人で開け、ぶじお開きとなった。弟が持ち込んだものが半ば以上を占めていたらしく、兄はだいぶご馳走になってしまいました。
思い切って顔を出してみて、よかった。あの人とのつながりは切れてしまったけど、弟とのつながりを、少しでも結び直すことができて、よかった。

昨夜は、いい夜だった。

村男「黒い星」

少しは、生産的なことも書こう。

最近、村男というマイナーなアーティストを知って、かなりディープにはまっている。何がすごいといって、この人の詞と声だ。つまり歌だ。というと、すべてってことになってしまうけど、まさにそんな感じだ。
彼の詞は、食品汚染問題や原発問題にまで踏み込みながら、そのなかで生きていく人間そのものを歌ってる。

詞ってものは、言葉自体にいくら重い意味があっても、無意味なものだと僕は思ってる。でも、この人の詞は、あくまでも歌として、ダイレクトに響いてくる。
聴けば、わかる。といいたくなるくらいに、僕にとっては、強烈な存在感のある人だ。特に好きな曲の1つ、「黒い星」のライブ動画がこれ。

「ほらほら疑ってご覧よ なにくわぬ顔で一杯喰わされるぜ」

この激しい歌を作り、歌う人が、ライブに行ってお会いしてみると、信じられないほど腰が低くて、心の底から優しいんだな。
僕は、同世代のミュージシャンに対しては秘めたる嫉妬みたいなものがあって、なかなか手放しに褒められないところがあるんだけど。この人には2、3度、わざわざごあいさつして、うっかり激賞の言葉をお贈りしてしまったりもした。

サイトには日記もあるけど、芯まで血の通った心の優しさ、真剣味、感受性の豊かさが垣間見えて、すごく魅力的。この1曲に限らず、広くお薦めしたいアーティスト、なのです。

しばらくは鬱ブログとなる予定